神社名 | 金比羅神社 |
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御祭神 | 大物主命? |
住所 | 千葉県千葉市花見川区 幕張町1 |
電話番号 | - |
公式サイト | - |
神社庁サイト | - |
地図 | GoogleMapで表示 |
緯経度 | 35°39′31” 140°03′05” |
神社庁所属の神社としては千葉市最西端にある子守神社に向かう途中で見つけた神社です。県道57号線を北東方向に曲がると民家の間に古びた雰囲気の石灯篭が並んでいます。事前調査ではこの場所に神社があるとを知らず神社名も不明でしたが、神社がありそうな雰囲気であったため中に入ってみました。
通りから見える石灯篭は古そうで歴史のある神社のようです。民家に挟まれるようにして細い参道が続いています。
石灯篭の奥に進むと木製の鳥居がありましたが、神額にはなにもかかれておらず神社名は不明。鳥居の奥の階段を登り境内に進みます。
境内に入ると社殿があると思われる場所に社殿はなく三角ポールが置かれています。改築中かと思いましたが境内の雰囲気はかなりの期間このままといった様子で改築中というより神社跡といった趣きです。
三角コーンには千葉市のもののようです。千葉市の管理になっているのでしょうか?このあたりは地面に多くの貝殻があり、このあたりが以前は漁師町であったことをうかがわせます。
両方共口をあけており阿吽で対になっている通常の狛犬とは違います。
幕張町漁業共同組合の組合員が金比羅神社に参拝した記念碑です。昭和43年に建てられた石碑ですので、当時はまだ熱心な金比羅信仰が続いていたのでしょう。
金比羅神社参拝記念碑の隣には第六天神宮修繕銅寄付金連盟と書かれた石碑がありました。ここは第六天神なのでしょうか?明治二十?年に建てられた石碑のようです。
社殿跡と思われる場所の右側にあった石祠ですが、神社名は不明です。
社殿があったと思われる場所に残っていた石。社殿の基礎でしょうか?
社殿跡左側にも右側と同じような石組が残っていました。やはり社殿に関係する石組なのでしょうか?
何故か水盤は一つではなく二つならんでいます。ひとつは明治29年に奉納されたもののようです。
まとまっている石祠は、古すぎて字が読めません。一番手前は稲荷神社で、左奥は文政12年と掘られていました。明治時代に行われた神社合祀の際に集められたものでしょうか?
倒れた石碑がありました。直す人もいないようです。裏には明治24年と掘られていましたが表側が見えないので何の石碑か分かりません。金比羅神社参拝記念?
県道57号線から見た境内です。木が生い茂っているだけで神社があること(あったこと?)をうかがわせるものはなにもありません。右側階段からも神社境内に向かうことができます。
県道57号線から境内に向った場合の入口です。鳥居はありませんが石灯篭が並んでいます。参拝時には何神社なのか分からなかったため近所の方に聞いて見たところ、ここは金比羅神社で今でも廃社ではないとのこと。幕張が漁師町であった昭和40年代くらいまではお祭りも盛大に行っていたようですが、今では子守神社のお祭りの際に金比羅神社前でお神輿が止まる程度らしいです。数年前までは社殿も残っていたが台風での損傷が激しく危険なため撤去されたがお金の都合がつかず再建の予定も無いとのことでした。